「3.11 その時、私たちは」 A 〜支援活動レポート〜


 当時、被災地の一部では政府の手が及ばず、学校の体育館や近所の商店などに一時避難し野営同然の生活を強いられている被災者も少なくなかった状況をみて、すぐに活用できるものを中心に支援物資を集めました。過度の買い占めで品薄になっている中、加盟団体の皆さんが手分けして物資を集めてくださったお陰で、食料品だけでなく、ガスストーブや灯油、発電機、懐中電灯、それにラジオや簡易テレビを相当数揃えることができました。

 4tトラックでの長距離輸送、津波による破壊で不安定な道のりなどを考慮し、ドライバーは運転に慣れている加盟団体の代表の方に手伝ってもらい、岩手に実家があるという社員の方が道案内をしてくださることになりました。

 道すがら、私は日ごろから聞いてみたいと思っていたことを聞いてみました。
「東北のお客さまはどんな方が多いですか」
「なんていうか、暖かい感じの人が多いんですよ、寒い地域なのに。人の痛みが分かるっていうかね。きっと、みんな東北に良い印象を持っているから、今回こんなことになっても日本全国から支援の手がどんどん差し伸べられるんじゃないかと思うんですよね」
そんな県民性を持つ日本人らしい人々が今まさに被災して苦しんでいると思うと胸が痛くなりました。一刻も早く復興してまた競馬を楽しんでもらえるようになって欲しいと心から願うとともに、その手助けを少しでもしてきたいと思いました。

 高速道路で福島付近に差し掛かってきたあたりから、状況は一変してきました。津波に何もかもを流されてしまった後の町は、まるで何年も前から廃墟だったようにすらみえるほどの荒廃ぶりで、テレビで見ていた以上の状況に閉口するばかりでした。

 明りらしい明りもなく、カーナビに示された道路も崩壊して瓦礫に変わっているような状況の中、いまだ救援物資が行き届いていない地域に向かうため、真っ暗な闇の中を走り続けました。

「このあたりは石巻市です。最も被害が大きかった地域の一つと言われています」
「あそこに明りがある。避難所のようですね」
「話を聞きにいきましょう」

 近隣の住民の避難所であろう施設に到着し、職員らしき方に声をかけてみました。
「えっ? 東京から? こんな大変な道を来てくれたんですね。ありがとうございます。実は、ここの避難所は自衛隊の皆さんが食料や水を供給してくれたので良いのですが、この先にある地域にはまだ自衛隊が到達していないようなのです。きっと困っていると思うので、支援物資を届けていただければ大変ありがたいのですが」
地震が起こってから何日も経過しているのに、まだ救援が行き届いていない地域があることにも改めて驚きましたが、その時は、すぐにそこへ向かわなければという思いで一杯でした。

 トラックのヘッドライトの明かりしかない状況で津波に破壊された道を注意深く進みながらその地域へと急ぎました。

ほどなくして海産物店があり、店の周囲でたき火をしているのを見つけました。皆で身を寄せ合って避難している状況だったのでしょう。代表者の方と話をしていると、他の被災者の方々が今の被災地や日本の状況を聞きにきました。
「東京からわざわざこんなところにまで・・・」
「ここはまだ支援物資が届いていないんですよ」
「ラジオもなかったから状況がさっぱり分からなかったんです」
「地震が起こってから日本はどんな状況になってしまっているんですか」
ここは指定の避難所まで到達できなかった人達が一時的に避難している場所のようで、食料も十分な量がなく、ライフラインが断絶しているため、震災後の状況が全く分からず、被災者の皆さんは不安な毎日を過ごしていたのです。私たちは食料や生活必需品など支援物資と知りうる限りの情報を提供しました。

 「これぐらいしかできなくて申し訳ない」
自然と口から出たのはそんな言葉でした。被災者の皆さんは、私たちの支援物資の到着に少し安心しておられたようですが、もし、日本全国もっとたくさんの人が義援金だけでなく、積極的に支援をする気持ちがあれば、こんなにも待たせるようなことはなかったでしょうし、自衛隊の皆さんの力にもなれたという気持ちがあったからです。
「足りないものがあったら何でも言ってください。また来ますから」
 今回の支援で足りなかったものを被災者の皆さんからリサーチし、すぐにまた届けにくると約束しました。

 被災地では日本の自衛隊やアメリカの軍隊が昼夜を問わず、被災者の救助に当たっており、その光景は幾度となく目にしました。それでも被害の状況は甚大で、すぐに全ての被災者に救援を行き届かせるのは至難の業であるのは、被災地に実際に行ってみて感じたことでした。義援金も今後の復興に不可欠なものですが、その時必要だったのは、現地で活動することだったのかもしれません。

 その後、私たちは陸前高田市にも赴き、支援物資を提供し、石巻市の海産物店の被災者の皆様に再度支援物資を届けるなど、他にも物資の輸送による活動を続けてまいりました。

 日本の観測史上最大の地震「東日本大震災」。この未曾有の国家的危機を前に、日本国民は手に手を取り合って協力することで乗
り越えようとしています。しかし、これから最も難しく、そして最も重要になってくるのは「続けること」だと考えています。震災を本当の意味で乗り越えるにはどのくらい時間がかかるのか想像すらできませんが、当社団では今後も継続的に支援を続けて参ります。誰もが東北が復興したと言えるその日まで。


 今後、随時支援レポートを更新していきます。

一般社団法人 日本情報機構

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